読書

百田尚樹著『フォルトゥナの瞳』 運命の女神は残酷だった

投稿日:2016年7月27日 更新日:

フォルトゥナは古代ローマの運命の女神。
タイトルの『フォルトゥナの瞳』、音の響きが美しいですね。

「運命の女神」というとガイズ&ドールズが一番に思い浮かぶのは、宝塚ファンの悲しいさが。
ガイズ&ドールズはコメディタッチの古典ミュージカルだけれど、フォルトゥナの瞳は、ちょっぴり悲しいお話です。
※ネタバレありです。ご注意を。

もし、人の死が見える能力があったらどうしますか?

もし、人の死が事前に見える能力があったら、そして、その人を死の運命から救うことができるとしたらどうしますか?
恐らく私は、その人を助けようと努力するでしょう。
理性的に考えることなく、目の前の問題を解決することに尽力してしまいそうです。
そしてある時、人の運命を変えることで、自分の命を削っていることに気付いてしまいます。

何もしないということは、多くの人を見殺しにするということ。
何かをするということは、自分の命を捨てること。

そう気づいたとき、どう動くか。
この2択を迫る時点で、運命の女神はかなり残酷。

ここで多くの人は自分の命を守ることを選択するでしょう。
なぜならば、人の命を救ったところで、救われた人はその事実を知りようがないから。
それどころか、救うためにとった行動を批判される場合もある。
一方、救わなかったところで、「あの人が助けてくれなかった。」と知る人はいない。
だからこれが一番まともな選択。

ただ、自分自身は永遠に苦しみ続ける。
生きるも地獄。。。

これは自己犠牲の物語なのか?

死の運命にあった女性を助けた主人公。
そして、その女性と恋に落ちる。
近々大きな事故があると知った時、主人公は恋人を守ることを第一に考えます。
彼女との幸せな未来を夢見て楽しい日々を過ごすも、運命の日はどんどん迫ってきます。

そして最終的には、自分の命を捨てる覚悟で事故を水際で食い止めることを選択します。

さて、これは自己犠牲なのでしょうか。
自分の命を犠牲にして、大勢を救った意義は大きい。
けれど、視点を変えれば、自己犠牲というより、自分がこれ以上苦しみ続けることに耐え切れなくなって自殺したともとれます。
恋人のことを顧みず、自分の思いを貫き通したことは、良いことだったのでしょうか?

同じ能力を持った恋人は、彼の死を知っていたのに食い止めなかったのですから、どちらの選択が正しいと判断することはできません。

ただ、小説のラストとしてこれはどうなんだろう。

最後の展開は、まあまあ早い段階から見えていたし、「感動させてやろう!」「読者を泣かせてやろう!!」という作者の意図がガンガン伝わってくるようで、結果感動にはいたらず。
どうせならもっと美しく感動的な終わりにすればよかったのに、何となく中途半端。
二人が幸せになるというラストでもよかったのになあ。

一気に読めて面白かっただけに、最後をきちんと締めて欲しかったな。
最後の最後に満足度が一気に下がってしまった感があります。

ランキング参加中です。下のバナーをぽちっとしていただけると嬉しいです。
にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ
にほんブログ村

宝塚歌劇団ランキング

【関連コンテンツ】

-読書
-

PAGE TOP

Copyright© ブックづか , 2021 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.