この間からずっと気になっていた、枚方市牧野にある阿弖流為と母礼の首塚といわれている場所に行って来ました。
京橋から京阪電車に乗り「牧野」へ。
京阪なんて滅多に乗らないからどきどき。特急、別料金いらないよね?と、更にどきどき。
到着した牧野駅を牧野公園方面に出ると、空間が広くてきもちいい!!
ごみごみごちゃごちゃしてなくて、すっきり整然。閑静な住宅地といった雰囲気。
駅から阿弖流為と母礼の塚がある牧野公園までは徒歩5分。ほぼ一本道で、感覚的には3分くらいかな?
伝阿弖流為・母禮の塚
公園の入口にはこんなものが。
伝阿弖流為・母禮の塚とあります。
いたって普通の町の公園。だけど、ど真ん中に古墳のような土盛り。
今にも雨が降りそうなどんよりとしたお天気に、人っ子一人いない公園。
いるのは私と一羽のカラスのみ。
なんか・・・なんか・・・ちょい雰囲気演出されてる気がする。
そんなわけないか。
この先にあるのが元々あった石碑かな?
こちらは新しい
説明書きが鎖にぶら下がっていました。
読めるかしら。
これによると、裏面に説明があるそうなんですが・・・鎖があるから裏に回れない・・・
なんとか横から覗いてみました。
これもちょっと写真では読めないかなあ。
ざっくり言うと、「阿弖流為と母禮の最期の地といわれるこの地に、1205年の時を隔て塚を建立した。」ということです。
他にも最期の地といわれる場所があるようですが、ひとまず石碑が建っているのは、ここ牧野公園と、坂上田村麻呂に縁のある清水寺の二箇所です。
石碑に手を合わせた後、すぐお隣の片埜神社へと向かいます。
片埜神社
片埜神社の歴史をたどると垂仁天皇の時代までさかのぼるという由緒ある神社です。
立派な鳥居ですね。
ぐるりとひとめで見渡せる境内はすっきり整然としています。
やはり誰もいない。
本殿です。ここで礼真琴さんと瀬央ゆりあさんがお参りしてましたね。
おや?愛嬌のある鬼のお面。そういえば絵馬も鬼だったな。
鬼がここのシンボルのようです。
もしや、都人からみた蝦夷のことをいっているのか?と思ったけれど違いました。
社務所の方にお話を伺ってみたところ、ここ片埜神社は豊臣秀吉の時代に大坂城鬼門鎮護の社と定められたそうです。
実は大阪城の石垣に彫られた鬼の彫刻と向き合う位置に建っているんだそうです。
(ちなみに写真の赤鬼さんは大阪城の方をむいているわけではありません(笑))
つまり、ここは鬼門除けの場所。この鬼は大阪城を守る良い鬼なんだとか。
個人の家にある鬼瓦と同じような役割を果たしていたそうです。
ちなみに、片埜神社(一ノ宮)のほかに、枚方市には二ノ宮・三ノ宮といわれている神社があり、その3つの神社で鬼門除けを行っているんだそうです。
お勉強になりました。
こちら東門。室町時代の様式を伝承した、大阪府内でも数少ない様式の門だそうです。
歴史を感じさせる壁ですね。
実は私はこの壁の間の小さな門から中に入りました。公園からだとここが一番近かったんです(笑)
そして、ミーハー丸出しで恥ずかしいですが、折角ここまできたので、こっちゃんとせおっちとおそろいの阿弖流為のお守りをいただきました。
友情・良縁、どちらも大切ですもんね。
参拝が終わるころ、ちょうど雨がぽつぽつ降り出してきたので、牧野の駅へ戻りました。
そしてここで、あの情報を眼にしたのです!!!
星組退団者の発表・・・
鮮麻呂さま・・・壱城あずささま
まさかこのタイミングとは・・・ショックです。