『MESSIAH(メサイア)』感想の続きです。
1回目観劇したとき、若干混乱したことがありました。
衣装と国と時代。
場面が変わるたび、その変化についていけなくなるのは年齢なのか・・・??いやいやそんなことはあるまい。
四郎たち海賊(倭寇)は海の向こうからやってきた人たちだから衣装が違うのはわかる。
そして天草や島原の人々、農民たちの服装は、古典的な衣装ではなく、イマドキの舞台で身につけられる新しい農民スタイル。
対する幕府軍は古典的な武士姿。
そのギャップがね。
なんだか複数の違う舞台を交互に見せられているようで妙な感覚。
何時代の何のお芝居観てるんだろう???ってプチ混乱。
海賊だったみりおちゃんが、天草で益田四郎時貞になったあとも、他の人と違う日本人ではない服装をしていたことにまず違和感。
その服誰が作ってくれたん??って。
天草四郎になってからあの赤い衣装に着替えたほうがなんかカリスマ性が出てよかったんじゃないのかしら。
あ、でも南蛮絵師のれいちゃんもマント羽織ってたな。
それよりも何よりも、貧しいはずの天草の農民たちがみんなブーツはいてて、幕府軍が草履っていうのが・・・
ちぐはぐすぎて同じ舞台に見えなくなるんですよね。
幕府軍もみんなブーツでいいやん。もしくは農民は素足に草履。
時代考証がどうこうとか言うつもりはないけど、一つの作品のなかではそういうのちゃんと揃えてほしいな。
それとも何か、草履よりブーツのほうが上等だという私の既成概念をとっぱらわねばならないところなのだろうか。
でも2回観ると慣れます。
細かいことは気にすんな!ってことか。
もうひとつ気になったのは、四郎さん純粋すぎません?ってこと。
海賊なんてやってたのに、命を助けてもらった天草の人たちの温かさに触れて「これぞ宝だ!!」とかなっちゃう。
そして彼らと共にどころか、彼らのリーダーとして一揆軍を率いて命を落とす。
最初は口もきかなかった天草の人々と心を通わせていく過程が抜けてるから違和感もりもり。
もう一場面欲しいところ。
最初と最後の将軍と光ちゃんの場面をもうちょっと短くするとか、ちょいちょい削って膨らませることできないかなあ。
ちなみに、公演を1回観てからスカステのプレステージを観て、さらにもう一度観劇すると島原の乱が良くわかりますよ。
それに、あ~、あの旗本物と同じだ!!とか、山田右衛門作実在するんだ!!とか、島原と天草って本当にこの距離感なんだ!!とか、わかって面白い。
基礎知識を身につけてから観劇するなら、少し前に映画になった遠藤周作の『沈黙』がお勧め。
小説は読んだけれど、映画はかなりむごいらしいのでパスしました。
そういえば原田版の舞台は隠れキリシタン迫害の描写はかなりマイルドでしたね。
これが木村先生だったらもっとぎりぎりのところまでリアルに表現しただろうなあ。
あと、小説でお勧めなのが桑原水菜さんの『遺跡発掘師は笑わない』シリーズの『まだれいなの十字架』。
機会があれば読んでみてください、シリーズ全部面白いです。
話を戻しますね。
今回大階段の使い方が良かったですね。お城の石段に見立てるとは!!
お芝居でももっと大階段使うべきだわ。
十字架のシーンは、最初「やりすぎ」って興ざめしてしまったけれど、2回目は十字に向かう人々の姿が見えて、ちょっと感動してしまった!!
ラストのラストの衣装がね。少々違和感あり。
ゴールドはないわ。元のままか、白系の淡い色目にしてほしかった。
ゴールドがみりおちゃん一人ならまだ違和感なかったかもしれないけれど。
なんか違う。
おっと、違和感ありなところばかりを抜き出してしまったけれど、作品としては良かったですよ。
堪能しました!!
たちあがれ~って脳内みりおちゃんが歌ってる。